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最高裁判所第三小法廷 昭和38年(オ)700号 判決 1966年6月07日

上告人 多摩中央運送株式会社

被上告人 国

訴訟代理人 上田明信 外一名

主文

原判決中上告人の被上告人に対する労働者災害補償保険法二〇条に基づく七一一、八七一円(第一審判決付別表中療養給付第一欄および休業補償費第一ないし第五欄の給付金合計一〇二、八〇〇円を除くその余の給付金相当額)の損害賠償債務の不存在確認請求に関する部分を破棄し、右部分に関する第一審判決を取り消す。

上告人の被上告人に対する前項記載の七一一、八七一円の損害賠償債務の存在しないことを確認する。

本件その余の上告を棄却する。

訴訟の総費用はこれを八分し、その一を上告人、その余を被上告人の各負担とする。

理由

上告代理人菊地政、同増沢照久の上告理由第一点について。

所論は、原審の専権に委ねられた証拠の取捨判断および事実の認定を非難するに帰し、採るを得ない。

同第二点ないし第四点について。

労働者災害補償保険法二〇条にいう第三者とは、被災労働者との間に労災保険関係のない者で被災労働者に対して不法行為等により損害賠償責任を負うものを指すと解すべきであり、すなわち、被災労働者に対する直接の加害者のみならず、民法七一五条により右加害者の使用者として損害賠賞責任を負う者ないし本件のように自動車損害賠償保障法三条により自己のために自動車を運行の用に供する者として損害賠償責任を負う者を包含するものと解するのが相当である。されば、右と同趣旨の原判示(第一審判決理由引用)は正当であり、これに反する論旨(第三点前段)の見解は採用できない。

ところで、労災保険金の受給権者が第三者の自己に対する損害賠償債務を免除することによつて残債務が消滅したような場合には、政府は、その後保険給付をしても、その給付額につき労働者災害補償保険法二〇条一項により損害賠償請求権を取得しないことは、当裁判所の判例とするところであり(最高裁昭和三七年(オ)第七一一号、同三八年六月四日当小法廷判決、民集一七巻五号七一六頁参照)、いまこれを変更する要は認められない。

もつとも、原判決(第一審判決理由引用)が確定した事実によると、本件被災労働者たる訴外中村長次は、本件負傷後上告人および加害者たる訴外長田豊から示談の申込みを受けていたところ、中村が当時従業員として勤務していた青木鉄工所の職員などより労災保険から六〇万円ほどの金が貰えるそうだと聞かされ、自分の負傷の方は労災保険給付金に頼つてなんとかやれるから、上告人や長田に対しては示談ですましてもよいと考え、昭和三三年三月一〇日上告人および長田との間に、(イ)右両名は本件事故による中村の負傷の損害賠償として中村に一一万円を支払うこと、(ロ)中村は右負傷について右金額以上の請求をしないこと、を約定し、その後数回にわたつて上告人から合計一一万円の支払を受けたことが認められるというのであり、原審は右事実関係に基づき、中村において政府より保険給付を受けられることを前提としてそれによつては補填されない損害の賠償請求につき本件示談をしたものとも解せられるから、政府の保険給付と同時に法律上当然政府に移転すべき損害賠償請求権についてまで放棄したものと解することには、すこぶる疑問(原審はあえて疑問という。)があると説示しているが(論旨第二点で指摘)、前記示談において、このように政府の保険給付によつては補填されない損害賠償の請求権だけを免除する趣旨の明示ないし黙示の約定があつたことを認めうるような特段の事情の主張立証のない本件において、単に労災保険給付を受けうることを前提として前記の示談がなされたということだけから、原判示が疑問としつつ提示するような解釈を採ることは到底できないものというべきである。

してみれば、本件において、原判決が確定した被上告人の本件労災保険給付額のうち、その支給の時期が本件示談成立の昭和三三年三月一〇日までの分(第一審判決添付別表中療養給付金第一欄一四、三九一円、休業補償費給付金第一欄二三、六一二円、第二欄一四、二七七円、第三欄一六、四七四円、第四欄一七、〇二三円、第五欄一七、〇二三円、以上合計一〇二、八〇〇円)に相当する金額については、中村の上告人に対する損害賠償請求権がすでに被上告人に帰属しているから、中村はこれを放棄できないこと明白で、右金額については上告人の被上告人に対する損害賠償債務の存在すること明らかなので、本件上告中右部分に関するものはこれを棄却すべきであるが、右示談成立の日より後に給付した分(第一審判決添付別表中上記のものを除くその余の合計七一一、八七一円)に相当する金額については、被上告人は上告人に対して損害賠償請求権を取得しえないものといわなければならない。しかるに、原判決は、被災労働者が政府から労災保険給付を受ける以前に損害賠償義務者たる第三者に対してその賠償請求権を放棄する行為は、政府の正当な利益を害するので、その効力をもつて被上告人に対抗することができないとし、右示談成立後の労災保険給付金相当額についても被上告人は上告人に対して損害賠償請求権を取得するものとして、上告人の右部分に関する本訴請求を排斥したのは、法令の解釈適用を誤つたものといわなければならないから、その余の論旨についての判断をまつまでもなく、原判決中右部分に関するものは破棄を免れない。そして原判決が確定した事実関係によれば、本件は右破棄部分につき当審で裁判するに熟するものと認められる。

よつて、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、三八四条、九六条、九二条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判官 柏原語六 五鬼上堅磐 横田正俊 田中二郎 下村三郎)

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